FC2BBS

7106
名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
文字色
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

訂正 - e-ko

2017/08/17 (Thu) 16:04:19

図面が間違いました

ノロさんの図面の方が私は記憶の中で見やすいです
送信した図面は選択を間違いまし

Re: 訂正 - ノロ

2017/08/18 (Fri) 14:51:24

図面の正確さは一長一短だと思います。

池の形などの地形は松猿さん紹介の図面(以下松猿図面)のほうが正確なように思います。二十年史図面は造園計画が目的のようで、その辺はかなりおおざっぱです。

玉泉館・対翠閣は二十年史図面のほうが細かい凹凸まで書き込んでいて、それがe-koさんのご記憶とも一致したわけですが、松猿図面はおおまかにまとめています。

清林館はどちらも同じくらい正確に見えますが、二十年史図面は西側の棟(建物の中に泉源がある、大浴場と思われる棟)の軸がわずかに傾いています。わざわざ傾けて描いてあるほうが正確と思われます。

竜泉別荘は松猿図面のほうが凹凸が細かくて、西端部のL字型に突き出した棟が小さいです。こちらのほうが二十年史図面よりも実際に近いと思われます。

裏庭の写真 - e-ko

2017/08/18 (Fri) 22:11:35

ノロさんは 図面を正確見られるのですごいです。

私は詳しくは解りません。済みません!

清林間は古い写真を見ると私の子供時代と様子が全く違い、みに・ミーさんから写真の確認の依頼の際、湯崗子の清林間ではありません、と言いましたが 理由が解りした。
 
20年史読んでいると火災に遭っている事が解りました。

火災以前は立派な建物ですが、火災後の私が清林間の大浴槽で泳いでいた頃とは図面が全く違います 玄関も反対側です。大浴場は楕円形でプールの様な大浴場でした。
休憩室も半分は畳と板張りの大広間で殺風景でしたが
傷病の兵隊さんの慰問はこの広間で慰問団が演芸、踊等、時には映画などもありました。

写真で池の方から見える清林間の部屋、東屋など私の時はありませんでした。

対翠閣の前の池の橋も何度も架け替えられているので 他の場所も建物等も、何度も工事しているのだと思います。

夏目漱石が湯崗子温泉を訪れた時は「草原に対翠閣だけがぽつんと建つていて外は何もなかった」、とあるので湯崗子温泉では対翠閣が一番古い建物が解りました。

一番古い建物が現在もタイル張りの竜宮温泉がへ入れる様に
保存しているのはすごいと思いました。

対翠閣の玄関ホールから中央階段の左右から竜宮温泉浴場え行けます、左側通路に売店、隣が床屋、右側は休憩所裏庭へ出口がありました・裏庭がこの写真です。
出っ張ってる所が休憩室、地下が浴場になっています

家族湯の方は現代の中国風に模様替えしてあります。

湯崗子温泉へ何度も行きましたが昔の面影は無くなっているので、戦後72年も経つと少しづつ薄らいで来ました。

湯崗子温泉の並木道 - e-ko

2017/08/15 (Tue) 22:51:36

管理人様

「満州3代温泉」を見ていました。
詳しく書いてありました。検索してみてください。

湯崗子温泉駅から400メーター(約10分)柳並木路

ポプラ並木は広い公園敷地内ありアカシヤも・・

満州温泉3大温泉では湯崗子温泉が設備は一番良い等と書いてありました。

マッドバスは「露西亜館」とも言っていたようです。

満州談話室は毎日談話が弾んでいるようです。


Re: 湯崗子温泉の並木道 - 管理人 URL

2017/08/16 (Wed) 00:26:13

おお、
駅から400メーターですか。
昔の人は逞しいから、さっさとあるいて10分で着きますね。

一寸、タクシーを使うには短い距離ですね。
新京駅、奉天駅、大連駅なんかはタクシー乗り場があった様ですが、そういえば湯崗子にタクシーってありましたでしょうか。

露西亜館というのは有用な情報です。
マッドバスを好んだのがロシア人、でマッドバス専門館も露西亜館に、となるとロシア人ニーズを担ったのか、などと想像しています。

満州談話室も盛況の御様子、拝見しております。

タクシーは無かった - e-ko

2017/08/16 (Wed) 15:05:22

「タクシー」私たちの頃は湯崗子温泉にはタクシーもマーチョ(馬車)ありませんでした。

私たちが移り住む以前に対翠閣に社用車があったようです。

お客さんの荷物はリヤカーで劉さんが(ポーター)迎えに行き
沢山積んで対翠閣の玄関で下していました。

マッドバスは戦時中 傷病の兵隊さんに使用されていたようだと書いてありました

函館の先輩から漸く便りが届きました。
40年前湯崗子温泉を訪ねた時は柳並木道は消えて残念だったそうです

並木道の絵葉書見て終戦から72年それ以前の柳並木路の絵葉書で見て感激した、美しい柳並木の絵葉書が見れて胸がジーンと来た、もう一度柳並木の風景を見たかったが見れなく残根に思っていたから嬉しかったと便りがきました。

マッドバスの建物名は色々呼んでいたようです、私は泥湯温泉と言っていた様でしたが、先輩の手紙では、トロッコ向こうに見えている洋館は「緑風館」と云っていたようだと書いてありました。

故郷「湯崗子温泉」と言う写真がとっても満足だったそうです。
送って上げてよかったと思いました。

露西亜館は大正時代 - ノロ

2017/08/16 (Wed) 17:15:55

e-koさん、こんにちは。
「満洲三大温泉」を見ました。はじめの方に、次の文章があります。
「その後、増加するロシア人湯治客に対応するため<玉泉館>にはロシア館が増設された。」

「ロシア館」には引用元が10)と示してあるので末尾の引用文献を見ると:
10)「遼陽と鞍山:附千山、湯崗子」(遼鞍毎日新聞社、1925年)193ページ

とあり、ロシア館は玉泉館に「増設」されたのであって、その時期は大正時代末期であることがわかります。ということは写真の建物が昭和5年に新築される以前です。

これと符合するように、年表の1925年代の欄に「露西亜館」の文字があります。

また、年表の1933年の「鮮満中国旅行手引」に、
「・名物マッドバスは東洋唯一で、ロシア人に広く利用されている。
・最近、建物とともに諸般の施設が「泥浴療養所」として竣工。4月~10月は医師の診療あり。」
という文章があります。

今まで出てきた、写真の建物の名称「泥浴場」「鉱泥浴場」「マッドバス」の他に「泥浴療養所」があったことがわかります。
案外、これが正式名称かもしれません。
「緑風館」については今のところわかりません。なお調べて見ます。

マッドバス - e-ko

2017/08/16 (Wed) 19:18:52

ノロさん
その後失礼していました。

マッドバスの事について、私はあまり詳しくなく 自信がないのですが、確かに竜泉別荘の裏にありました。
写真の様に立派には見えませんでした。

何度も繰り返し写真を眺めていると 泥湯池の上のトロッコで泥を運んでる写真、池の中に丸太の柱を立ててトロッコが走れる幅に橋を架けてありました。

私達が子供の頃はロシヤ人は一人も見かけませんでしたしトロッコは廃車になり マッドバスの建物の裏に放置してあったので 遊んでいました、

泥湯の池に架けてあったトロッコの橋は残っていて 何気なく渡っては 飛び込み台代わりに泥湯池に 橋から飛び下りてました、それほど高くなく60センチか1メーター位 池の湯はぬるま湯で体温に丁度良く泳いでいました。

湯崗子温泉の絵葉書、写真、見れて先輩は喜んでいましたけど 20年史の事もそのうちお知らせしようと思っています。

これまで生きていた甲斐がありました。

Re: 湯崗子温泉の並木道 - ノロ

2017/08/17 (Thu) 14:44:03

e-koさん、こんにちは。

戦争が激しくなると、ロシア人へのサービスどころではなくなったのでしょうね。

最初に出てきた松猿さんご紹介の図面を見ると、トロッコの線路は竜泉別荘横の小さな入り江を横断して対岸に達していますから、まさに橋のように見えたことと思います。

e-koさんはこの橋から飛び込んで、自ずから泥浴療法をやっておられたわけですね。

「二十年史」はどうぞお友達にも見せてあげて下さい。

Re: 湯崗子温泉の並木道 - ノロ

2017/08/17 (Thu) 15:05:01

ところで、ロシア人の泥浴に関係する二つの建物は次のように整理されます。

・ロシア館:1922~1925年に玉泉館に増設
・マッドバス:1930年に竜泉別荘の裏に新築

ロシア館は新築ではなく、玉泉館に増設されたわけですが、それが図面で建物のどの部分に当たるのかがわかりません。

マッドバスが新築されたので、ロシア館がまた模様替えされた可能性もあると思います。

e-koさんは、ロシア館が図面の建物のどの部分に当たると推定されますか?

Re: 湯崗子温泉20年史 - e-ko

2017/08/17 (Thu) 16:00:34

ノロさん 20年史ありがとうございます。

大事に扱っています。20年史もうしばらく貸してください。

私の家から玉泉館、対翠閣はすぐ近くでしたから良く覚えていますけど、建て増し部分は?どこでしょうか?

楽山荘の建て増しは解ります

私は月に2回校区の公民館講座で(100名)童謡唱歌を歌っています、
この前の15日の終戦の日は(お盆)丁度唱歌の日でした、
歌の合間に、突然私に指名で 終戦の日の満州の話をしてください。と言われましたが突然でったので断り、代わりに隣の席の人がハイラル・大連・朝鮮で終戦になった話をされてたすかりました。

終戦の日なので、何となく予感がし、20年史を持って行くつもりでいたのですが忘れて残念に思いました。

私が育ったよき時代の満州の話を自慢に写真を見せていたので20年史を持って、皆さんの前で話せなかったのが残念でした。

図面を見ているとこちらの図面の方がわかりやすく正確です。

図面と現地では私の感覚が少しずれているようですけど、

陸軍病院 - e-ko

2017/08/06 (Sun) 21:16:00

管理人様

陸軍病院の全景写真の一番左の建物は炊事室です。
窓の外にリヤカーが停めてある所です。

炊事軍曹?男性ばかりで!

兵隊さんが戦闘帽かぶって炊事係りか?炊事していました。

陸軍病院の傷病入院室前にテニスコートもありましたよ。

(兵隊さんが日光浴している前あたりに)

傷病の兵隊さん日向ぼっこ気持ちよさそうですね

Re: 陸軍病院 - 管理人 URL

2017/08/07 (Mon) 00:40:52

陸軍病院は、当HPで玄関付近と、あとこの写真くらいで、建物の全貌というのが判らなかったのですが、なるほど炊事室がばっちり写っていたんですね。

テニスコートもあったとは、なかなか興味深い。割と流行り始めたんでしょうか。奉天の大学とかヤマトホテルにあったみたいですが、病院にもあるとは意外です。

白い服の傷痍軍人というと熊本の陸軍病院でも同じような感じの光景があった様です。
江津湖でボート遊びをしていた写真をみたことがありますが、周囲は、たとえば市民病院みたいなものはまったくありませんでした。

Re: 陸軍病院 - e-ko

2017/08/07 (Mon) 11:36:55

熊本は八師団があり戦中陸軍の後進駐軍の駐屯地で敷地内の官舎の友達方に遊びに行くと守衛門で厳しく住所、職業、要件など記入して、許可を得て官舎に行きますと進駐軍が住んでいた様式トイレとお風呂が一緒(40年前)になって現在のホテルの様で床は全てコンクリートでした。友達はジュウタンを敷いて暮らしてました。

その後沖縄に転勤になり 沖縄にも遊びに行きましたが 同じく米軍官舎後に住んでいました。

40年(40歳頃)前同級生が4人陸、海、空、沖縄自衛隊に勤めていていたので遊びに行きました。

沖縄1周車で同級生でドライブ学生時代に戻り楽しかったです。(私の友達はご主人が、あとは男子、小、中、高校まで同じ学校に通った同級生)若い頃は楽しい事もありました。

無題 - e-ko

2017/08/03 (Thu) 12:32:37

みに・ミーさま

ノロ様の「湯崗子温泉株式会社20年史」厚さ3センチほどをお借りして目を細くして20年史に熱中して本を読んでいます。

私の記憶は確かでした。マッド・バスの事は忘れていました。
竜泉別荘の真裏に建物は確かにありましたが雑草の中に物騒でした。

7月17日のノロさんの図面にある場所です。トロッコ線路は雑草で隠れていてところどころ見えていただけで定かな記憶はではありせん。

みに・ミーさまも「湯崗子温泉株式会社20年史」の本読まれるとよいと思いました。

貴重な温泉の歴史が書いてありました。

「湯崗子温泉は対翠閣だけ草原の中にポツンと一軒だけ建っていて外の建物は何も無い」所と夏目漱石が書き記していたのが
本の中に書いてありました。

対翠閣には宮様が良く御出でになられていて 子供の頃父から「今日は対翠閣に来ては駄目」と注意されていました。

本の中には宿泊名簿、旅館代などが記録され、夏目漱石、与謝野晶子ご夫妻、久米正雄など有名な方も泊ままられた年月日まで記してあります。

湯崗子温泉は5歳~13歳引き揚げまで小学時代が主に8年間
でしたが 

子供で我ながら感心していることは確かな記憶です。

ロシア人建物以外すべて確かです。劉さんの隣の家も図面に計画に入っていたのはびっくりです。

玉泉館の裏に長く続いてるのは長屋6,7戸建てです。

対翠閣ー大広間ー玉泉館は屋根続きの渡り廊下です。

本を読んで梅原支配人が湯崗子温泉全体を写真で見る美しい風景に計画され完成されたのを知りました。

湯崗子には池が多く築山が多いのは温泉を掘る為の池だったのかも知れません

Re: 無題 - 管理人 URL

2017/08/03 (Thu) 23:48:54

ご紹介、ありがとうございます。

図面一つで、たくさんの連想が出来ますね。
梅原支配人様の総合レジャーランドでもあったとは面白く思います。

なるほど池と築山は、温泉を掘ったからというのは気づきませんでした。
高いところから見下ろす写真をみても緩やかな岡がある様にみえますね。
湯崗子温泉陸軍病院 湯崗子公園の写真です。

公園 - e-ko

2017/08/04 (Fri) 14:50:35


こちらの写真はボート池 清林間の前の池です

上の方は対翠閣~駅の道路

撮影場所は玉泉館のベランダからでしょう

綺麗に写ってます

ボート池 - e-ko

2017/08/04 (Fri) 22:29:59

管理人様

ボート池の東屋に大勢の人がいますね

白衣を着た兵隊さんの姿も見えるのでボート待ちかもしれません、無料でボートは楽しかったです、兵隊さんが漕ぐボートに便乗して乗せて貰っていましたけど、自分でも漕いでり弟達を載せてボートがひっくり返ったこともあり面白かったです。

竜泉別荘 - e-ko

2017/07/31 (Mon) 10:12:03

みに・ミーさま

竜泉別荘=もともと張作霖の別荘はお城みたいな建物でした。

私が6年生の時学校代わりに、戦時中学んだ竜泉別荘の建物はその頃もまだそのままの形でした、

竜宮城のっような大きい赤い門が残っていました
セピア色で良く分かりませんが・・・

こちらの写真が元のの竜泉別荘です(中3階建て)

3階の小ベランダから湯崗子温泉が一望できました。

支配人 - e-ko

2017/07/31 (Mon) 18:56:06

満州談話室にみに・みに・ミーーさまとノロさんへ対翠閣の支配人を紹介していますので見てください。

Re: 竜泉別荘 - 管理人 URL

2017/08/03 (Thu) 23:51:37

むむ、
中三階建てだったんですね。

屋根の三角窓に4階がある、というわけではないということでしょうか。

ここのベランダからの風景を想像しています。

Re: 竜泉別荘4階 - e-ko

2017/08/04 (Fri) 14:40:35

みに・ミーさま
竜泉別荘の4階窓は踊り場の様な狭い所でのぞき窓風だったと思います。

学校代わりに使用したのは中央部分だけでした。

2階の右の部屋に新築の社宅が完成するまで仮住まいされていたので遊びに行きました。洋風でベッドが置いてありました。

1階右端は湯崗子の郵便局

左側は先生ご夫妻が住んでいられました。

この写真はいつごろの写真でしょうか?

もう一つの一致 - ノロ

2017/07/12 (Wed) 20:46:39

私は泥運びトロッコ線が写っている「清林別墅の裏側」の写真を見て以来ずっと、建物の中央に見える四角い出っ張りを、温泉のタンクかなにかだろうと
思っていました。「タンク」の中央に立っているものがパイプに見えたからでもあります。

この間ふと写真を見て、出っ張りに窓があるのに気が付きました。窓を数えると三階建てになっています。パイプに見えたものはよく見ると手前の電柱でした。

そこで松猿さんご紹介の資料を読み直すと、次の文章があります。
「東側局部三層,第三層現已被拆除」
「東側が局部的に三階建てになっていたが、現在は三階部分は撤去されている」

それでは二階建てになった出っ張りは現在も残っているのでしょうか。グーグルアース画像で見ると確かに中央東側に出っ張りがあります。テラスなどでなく高さのある出っ張りであることは影で分かります。

これで当時の写真で清林別墅とされる建物と、現存の清林別墅との一致点がもうひとつ得られました。両者が同一の建物である可能性がますます高くなりました。

Re: もう一つの一致 - ノロ

2017/07/12 (Wed) 20:49:06

グーグルアース画像をこちらに載せます。

ロシア人の建物 - e-ko

2017/07/28 (Fri) 14:01:10

ノロさん
ノロさん湯崗子温泉に関心ががおありですね

建物の中央に見える四角い出っ張りを、温泉のタンクかなにかだろうと思っていました。・・・そうですか!

よくよく見ると 私の記憶では踊り場がある階段でベランダでした。外からも入られました

建物の中に入ったことはありませんでしたが外からでも登られました。

トロッコとロシヤ人の建物の写真は昭和初期私が生まれる前の風景です。

私が子供の(8歳)昭和15年頃の記憶では湯崗子温泉敷地内ではロシア人の姿は全く見ませんでした。

満人と日本人分担して、対翠閣の調理場等も上手に働いていました。

対翠閣専用クリーニングの洗濯場は満人がアイロンかけしていました。

社宅が完成するまで住んでいた、劉さんの隣の右の家、煙突が2本立ってる家に両親と兄弟姉住んでいました。

左側が劉さん宅。劉さんの左隣は対翠閣の専用クリーニング洗い場で7,8人作業していました。

裏側は道路を挟んで玉泉館の前の池です。

春節、中国のお正月は家の前、手前の広場でたかあし踊りがありました。

現在は玉泉館の建物が敷地広い範囲建てられています。

けんさん旅行中で湯崗子温泉も楽しんで来られることでしょう!

劉さん方隣 - e-ko

2017/07/28 (Fri) 14:22:54

ノロさん

劉さん宅隣の家の前でお正月 晴れ着を着て私5歳です

Re: もう一つの一致 - ノロ

2017/07/29 (Sat) 09:46:57

e-koさん、

四角い出っ張りは階段室だったのですね。
外からも入られたということはe-koさんは建物のすぐそばまで行かれたことがあったということですね。

いろいろと思い出されたようで、良かったです。

私にもつい最近そのようなことがありましたが、はっきりした記憶でも他の記憶との繋がりが失われると「死蔵品」になってしまって表に出てこなくなる、ということがあるようです。

なにかのきっかけでその繋がりが与えられると、死蔵品となっていた記憶が目の前に見るようによみがえります。

Re: もう一つの一致 - ノロ

2017/07/29 (Sat) 09:54:00

e-koさん

劉さんの家その他について教えていただき、有難うございました。

見取り図で、各旅館の間が細い建物でつながっているので、回廊かと思っていたのですが、このように従業員の宿舎とか、作業場とかの付属建物だったのですね。また一つ理解を深めました。

おっしゃるとおりです。 - e-ko

2017/07/29 (Sat) 21:31:04

ノロさん

ノロさんがおっしゃる通り そうです。満州談話室のおかげです。

何かのきっかけで思い出すこともあり、なかなか思い出せないこともお風呂で思い出したり。ふっと消えたりします。

戦後72年も経て中国の高度成長で湯崗子温泉の周辺は昔高粱、大豆畑は現在マンションがびっしり建ち並び様子がすつかり変わり果て湯崗子ではないようです。

でも満州写真館と満州談話室交互にクリックしながら皆さんの談話を面白・可笑しく見ています。昔に返り咲くひと時です。

Re: もう一つの一致 - 管理人 URL

2017/07/30 (Sun) 22:51:46

おお、
これはこれは

当掲示板でも実りある充実した内容を頂戴し、大変、うれしく思います。

住所を教えてください 下條 英敏

2017/07/23 (Sun) 08:17:51

ミニミーの部屋の管理人様
満州写真館から多くの写真の提供をいただきありがとうございました。
おかげさまで上梓できまして、もうじき冊子が出来上がります。冊子をお送りしたいのですが、送り先をお教えください。

Re: 住所を教えてください - 管理人 URL

2017/07/23 (Sun) 23:30:49

下條様

メールにて返信いたしましたのでご確認をお願いいたします。

Re: 住所を教えてください - e-ko

2017/07/27 (Thu) 22:47:08

みにミー様
しばらくご無沙汰していました、ネット接続の不都合で漸く元に戻りました、この写真の建物とトロッコの件ですがロシア人が泥を運んでいたそうで、竜泉別荘の後ろの洋風の建物はロシア人の建物があったそうです、湯崗子の社宅の先輩と電話連絡が取れて確認できました。ロシア人の建物名はいつの間にかふっと記憶が消え去ったそうです。トロッコの写真と図面はコピーして送りましたので 其の内詳しい説明の返事があると思います。
先輩と電話で話をしていてふと記憶がよみがえりトロッコの後ろの建物を思い出しました。私が小学生の頃はかなり古くゴミ屋敷か幽霊屋敷の様で恐ろしく怖かったイメージだけです。

Re: 住所を教えてください - 管理人 URL

2017/07/28 (Fri) 00:11:42

おお、
ということはトロッコの泥をつかった泥湯は、ロシア人に人気ということですね。

さらに
>私が小学生の頃はかなり古くゴミ屋敷か幽霊屋敷の様で恐ろしく怖かったイメージだけです
むむ、
ということは昭和に入ってから使用頻度が落ちたか、営業は終えちゃったか、などあれこれ考えられますね。

蓮舫の違和感 - 管理人 URL

2017/07/20 (Thu) 00:08:21

なんだか、さらっと二重だったので御免で、報道もしーんとしてます。
でも、蓮舫さんといえばこれまで
・漢字を読み間違えた
・高いカツカレ-を食べていた
・カップラ-メンの値段を間違った
・ウチワのような物を配った
・高い水を飲んでいた
で資質が無い辞任しろッ!
て言ってた人です。
が、『二重国籍問題』を うっかりしていました、だけで済まそうとする

あと蓮舫周辺のダブルスタンダードが酷い。
『民進党の有田芳生(ありた・よしふ)参院議員(65)に日本維新の会の橋下徹法律顧問(48)=前大阪市長=がインターネット上などでかみついている。
 民進党の蓮舫代表(49)が自身の戸籍謄本の一部など関係書類を公開した件で、有田氏が蓮舫氏に公開を求めた人々を「差別だ」として非難したことを、橋下氏は自分の出自が週刊朝日に報じられた際には有田氏が「面白い」と言っていたと指摘し、「自分の嫌いな相手なら面白く、自分の所属する党の代表なら人権問題にするのか」として、有田氏の姿勢を「ダブルスタンダード」と激しく批判した。 』

これ、国会議員がこんなひどいことを言うのか、と思うかもしれませんが、本当なんです。
ツイッターから。
橋下氏をコキ降ろす時
https://pbs.twimg.com/media/DFECmm3VoAESvai.jpg
(これ、あとで週刊朝日は橋下氏に謝罪しました件です)。

蓮舫を持ち上げる時
http://livedoor.blogimg.jp/gensen_2ch/imgs/9/7/9743c964-s.png

民進党を支持している人ってこういう場当たり的な言動は気にならないんでしょうかね。

Re: 蓮舫の違和感 - 管理人 URL

2017/07/28 (Fri) 00:05:49

蓮舫が、辞めた?
あれ??
ツイッターなんかをみると
「そもそも二重国籍を認めてる国は沢山ある。」
のだとか
おや、ではほぼどこの国にもある共謀罪はOKじゃないの?

湯崗子温泉の見取り図 - ノロ

2017/07/10 (Mon) 18:33:50

みに・ミー様

ちょっとお知らせを。
満洲談話室の松猿さんが見つけられたのですが、下記URLに湯崗子温泉の昭和9年の見取り図が載っています。
http://blog.sina.com.cn/s/blog_50211f310102wq6g.html

残念ながら清林別墅はまたもはずれていますが、熱泥採取のトロッコ線らしい線が「特殊鉄道」の記号で記入してあります。

ご参考まで

ノロさんの湯崗子温泉の見取り図 - e-ko

2017/07/11 (Tue) 00:52:58

みに・ミー様
ノロさんからの湯崗子温泉の見取り図面クリックして私も見せていただきました。びっくり心弾ませて見せていただきました。何と湯崗子駅から対翠閣までの並木道、と対翠閣から駅までどちらからでも何枚も少し時代もいろいろ写してあり懐かしい通学路ベンチもちゃんとあります。劉さん親子が歩いてるあの駅までの並木道です。劉さん親子は駅へ向かっています。

劉さん - ノロ

2017/07/11 (Tue) 16:57:15

e-koさん、こんにちは。
劉さん親子は白服の二人でしょうか?
e-koさんとはどのようなご関係ですか?

Re: 湯崗子温泉の見取り図 - e-ko

2017/07/11 (Tue) 21:49:33

ノロさん
湯崗子の写真を沢山見せていただいてありがとうございました。劉さんのお父さんは対翠閣のポーターさんでした長いこと対翠閣の仕事をされていて高齢になり息子さんが後継者としてお手伝いされていました。劉さん親子の後ろ姿の写真はみに・ミーさんが見せてくださいました。親子で駅へ向かってるようです。劉さんは対翠閣の社員です。
新築の社宅が完成するまで私達は劉さん宅の隣に住んでいたので劉さんはは良く覚えています。その家を撮ってきたのですが見当たりません・・・対翠閣では中国人も大勢働いていました

Re: 湯崗子温泉の見取り図 - ノロ

2017/07/12 (Wed) 10:43:06

e-koさん、こんにちは。
劉さん親子は温泉会社の従業員だったのですね。
みに・ミーさんが見つけられた写真に、その後姿が写っていたのですか?
それはものすごい「奇遇」ですね。

私の周囲にもなつかしい現地の人たちがいました。
好々爺の運転手さん。運転主見習いとボイラーマンを兼ねていた若いボーイさん。朝鮮人の若い住み込みの女中さん。
この女中さんは小学校の国語の教科書を大事そうに持っていて、それを開いて小学1年の私にハングルを教えてくれました。
みななつかしいです。

Re: 湯崗子温泉の見取り図 - 管理人 URL

2017/07/20 (Thu) 00:10:38

>朝鮮人の若い住み込みの女中さん。

そういえば加藤登紀子さんがハルピンに居た時にも、女中さんを雇ったら朝鮮から来た若い人だったとか(14歳でしたっけ)。

はるばる遠くまで仕事を求めて移動。
それだけ満州は治安も経済も安定したということなんでしょうね。

遂にありました、マッドバス - ノロ

2017/07/17 (Mon) 10:05:56

「湯崗子温泉株式会社二十年史」という本を入手しました(左の写真)。
そもそも温泉会社は「清林別墅」という名称を使用していません。この名前で検索しても見つからないわけです。温泉会社が呼んでいる名称は単に「マッドバス」または「鉱泥浴場」です。みに・ミーさんご紹介の建物写真に書いてある通りです。

またこの本によればマッドバスの建物を落成したのは昭和5年6月です。大正時代の絵はがきに写っていないわけです。

さてこの本に、マッドバスの建物を含む見取り図があります(中の画像)。左側が北側です。文字が読みにくいので青色で注釈を入れました。一見、マッドバスの建物の平面形が違うように思いますが、それは当時の写真にある裏側(東側)の一階建て部分を含んでいるからです。

この本の76ページには建物及び泥採取状況の写真もあります(左の写真)。鮮明ではありませんがみに・ミーさんご紹介の写真の建物と同一であることはわかります。なにしろ出所の保証つきです。

Re: 遂にありました、マッドバス - ノロ

2017/07/17 (Mon) 10:09:01

マッドバス入りの見取り図はこれです。

Re: 遂にありました、マッドバス - ノロ

2017/07/17 (Mon) 10:11:18

76ページの写真はこれです。

Re: 遂にありました、マッドバス - ノロ

2017/07/17 (Mon) 10:18:53

キーを入れるのを忘れて修正できませんのでここに書きます。

トップの書き込みの(左の写真)(中の画像)(左の写真)はそれぞれ:
(右の写真)(下の画像)(下の写真)と読み替えて下さい。

Re: 遂にありました、マッドバス - ノロ

2017/07/17 (Mon) 14:30:32

泥浴場整備のいきさつは次のように書かれています。

はじめ、ロシア人がこの地の熱泥の優秀さに気付いて自然発生的に利用していたので、温泉会社としても始めはアンぺラ囲いの泥浴場を作り、次いで煉瓦建ての浴場を泥浴場に改造して利用させていました。

その後、大正15年に閑院宮、昭和3年に高松宮がこの地に宿泊した際に泥浴場を見学し、特に高松宮にはもっと設備を整備してはどうかとの「有り難き御諚を賜った」という状況がありました。以下引用します。
「茲に於て昭和三年十二月完備せる泥浴場の建設案を満鉄重役会に提案し、同月十五日重役会の決済を経て愈満鉄は七万円を投じ完備せる泥浴場を建設することとなった。昭和四年七月湯元の西側に地を卜し、起工一ケ年を経て洋風煉瓦建二階造り延坪数七二六・〇六平方米の建築を完了した。尚将来冬期の営業も考慮し暖房装置をも完成せしめ内外ともに完備を誇る泥浴場が出現したのである。」ということです。

当時の建設の早さにも感心しますね。

Re: 遂にありました、マッドバス - 管理人 URL

2017/07/19 (Wed) 00:53:05

おお、これは配置が判りやすい
マッドバスがあって、しかもちょっと離れたところにあることがわかります。

ふむふむ
マッドバス以外も、池と池に浮かぶ島の位置も判って興味深いです。
となりますとトロッコの位置は、、、、あれ?
ちょっと考察中です。

それにしましても、日本人ってお風呂大好きですね。
7万円の浴場ですか。かなりの金額になりますが今でいうと文化住宅一件は余裕で建つ値段でしょうか
(昭和10年にかつ丼が35銭で、、、ってピンと来ないですね)。

一つ一つの建物を見直しながら地図をじっくりみなおしているところです。

Re: 遂にありました、マッドバス - ノロ

2017/07/19 (Wed) 12:03:03

「二十年史」のなかの見取り図(以下「二十年史見取り図」)は、造園計画図のようなものですから、地形などはあまり正確ではないと思います。

松猿さんご紹介の見取り図(以下「松猿見取り図」)と比べると、竜泉別墅付近の湖岸の線がかなり簡略化されているし、二番目の出島(西側)が省略されています。トロッコ線も恐らく省略されたのでしょう。ただ、松猿見取り図と重ねて見れば、松猿見取り図のなかのトロッコ線(?)が二十年史見取り図のなかのマッドバスにまっすぐ向かっていることがわかります。

二十年史見取り図は、マッドバスの建物の実在と位置関係を示す、今のところ唯一の証拠であるところに意味があると思います。


Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.